音更町議会 2021-04-15 令和3年第2回臨時会(第2号) 本文 2021-04-15
あそこにある中で、松浦議員さんだからあえて言っておくけれども、松浦武四郎の、あそこで全体を眺めて、これは将来発展する地域だと。十勝はそういったところだといって座って眺めたというところに松浦武四郎の碑があるわけでしょう。あれは帯広市の占有物です。ほかのやつも。 だから、そういう歴史を知りながらこれから走らないと、今までの100年や120年は成熟していないんだよ、まだ。
あそこにある中で、松浦議員さんだからあえて言っておくけれども、松浦武四郎の、あそこで全体を眺めて、これは将来発展する地域だと。十勝はそういったところだといって座って眺めたというところに松浦武四郎の碑があるわけでしょう。あれは帯広市の占有物です。ほかのやつも。 だから、そういう歴史を知りながらこれから走らないと、今までの100年や120年は成熟していないんだよ、まだ。
また、その交差点は、高丘方面より厚真方面への右折の際は左側の小山、ガードレール、厚真町記念物第7号に指定されている松浦武四郎公の記念碑、橋の欄干、松浦橋の盛り上がりなどで、乗用車のドライバーの目線では、幌内方面から走行してくる車両はほとんど見えません。右折車線へフロントを出さなければ、左側の安全確認はできません。
話題を変えまして、ことしは松浦武四郎が北海道と名づけて150年ということでありますが、テレビのドラマや特集でも取り上げられておりますが、その北海道の命名時に胆振国という地名もつけられましたが、その由来についてお尋ねをしたいと思います。 ○議長(金澤俊) 答弁を求めます。 教育部長。
鈴蘭公園は、松浦武四郎の歌碑や神社など町の歴史と文化の再評価の可能性を持った地域と考えます。里山基盤整備プロジェクトの立ち上げを提案しますが、町の考えは。 鈴蘭公園一帯は、十勝平野に自生していた野草、樹木が昔のままの姿で残されている場所として、小中学生の理科教育の自然観察や自然に触れる散策など、野草園としての可能性を秘めていると思いますが、町の考えは。
郷土資料館では、企画展として、北海道の名づけ親として知られる松浦武四郎が残した記録を紹介する松浦武四郎の足あとを11月10日から12月24日まで、平成30年中に市民の皆様より寄贈いただいた資料を展示する平成30年新収蔵資料展を1月4日から24日まで開催するとともに、大正時代からのひな人形を展示するひな人形展を2月2日から3月10日まで開催しており、好評をいただいております。
釧路初め道内各地でさまざまな形で記念講演や文化祭などが開催される中に登場されているのが、蝦夷地を探検した松浦武四郎氏であります。その活動を支えたのが、先住民族であるアイヌ民族でありました。 今年度から、釧路地域のアイヌ伝統的生活空間であるイオルの再生事業がスタートいたしましたが、さてイオルとはどういう意味か。
松浦武四郎が数回訪れ、イザベラ・バードが絶賛した有珠地区は、整備が必要な観光資源が散見されます。今後の振興策を伺います。 4番目、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産の推薦候補に決定しました。しかし、このことはまだスタートラインに立っただけと伺っていますが、今後の道のりをお伺いします。また、まちの財産として、観光資源として今後の対応策をお伺いします。
蝦夷地を北海道と名づけたのは、江戸末期の探検家であり、幕史・開拓判官の松浦武四郎でありました。計6回に及ぶ蝦夷地調査に欠かせなかった道案内人はアイヌの人々で、35巻に及ぶ蝦夷日誌で、絵図の地名はアイヌの呼称を充てたと言われております。北加伊道のかいという意味は、この地に生まれたものというアイヌ語を使っております。
平成30年、今年度は北海道と命名されてから150年、明治2年1867年7月17日、蝦夷地と称されたこの地に、松浦武四郎が北海道とこの地を命名したことを受け、7月17日が道民の日として昨年制定されました。このことを受けて、昨年は道の施設が20カ所で無料となるなど、多くの道民の共鳴共感を生んだところでございます。
平成30年、今年度は北海道と命名されてから150年、明治2年1867年7月17日、蝦夷地と称されたこの地に、松浦武四郎が北海道とこの地を命名したことを受け、7月17日が道民の日として昨年制定されました。このことを受けて、昨年は道の施設が20カ所で無料となるなど、多くの道民の共鳴共感を生んだところでございます。
石狩市には、約4,000年前の縄文時代中期の日本最古のサケ捕獲施設である紅葉山49号遺跡を初めとする多くの遺跡群、北前船にかかわる旧長野商店、金大亭などの建造物、石狩浜に代表される豊かな自然とともに、松浦武四郎も歩いたと言われる増毛山道の復元、各地区の人気スポットとなっている港の朝市、家族連れでにぎわうあそびーち石狩や、はまますピリカ・ビーチなどの海水浴場、歴史をつなぐ各地区の3大祭り、浜益を中心とした
平成30年度に開催する展覧会のキッズミュージアムの工作ですが、魔法の美術館の展覧会にはきらきら万華鏡、松浦武四郎の展覧会ではたんけん!地図づくりがキッズミュージアムの内容となっていて、この間に親御さんはゆっくりと作品を観覧していただけるということです。
本年は松浦武四郎が北海道と命名し、当市においても根室と命名し、先達たちの方々がまちづくりをされてより150年を迎える節目の年になっており、改めて歴史ある当市の持続発展を目指していかなければならないと考えを深くするものであります。 はじめに、市政執行の基本姿勢と長谷川市政3期目の評価についてお聞きいたします。
また、本年は北海道命名150年の節目の年であり、道内各地でさまざまな記念行事が予定されていますが、本町では、北海道(北加伊道)の名づけ親で、本町にも足跡を残した幕末の探検家松浦武四郎翁をテーマとした講演などの記念事業を開催します。先人の功績と郷土の歴史を振り返る貴重な機会でありますので、たくさんの方の参加を期待しています。
北海道の名づけ親と言われているのは、三重県松阪市生まれの松浦武四郎という人物です。武四郎は、江戸時代の終わりから明治にかけて活躍した探検家で、6度にわたる蝦夷地の探査を通じてアイヌの人々とも交流を深め、おおよそ150冊に上る蝦夷地の詳細な記録を残しました。また、アイヌの人々が蝦夷地で安心して暮らしていけるようにしたいという強い思いを持ち、行動した人でもあります。
質問通告に書いたとおり、ことしは「十勝日誌」などを記し、この地域にもゆかりのある松浦武四郎が名づけ親となって、明治2年、1869年に当時蝦夷地と呼ばれていたこの地に北海道という名称がつけられてから150年という節目の年に当たります。依田勉三率いる晩成社によって帯広に開拓のくわが入ったのが明治16年、1883年ですから、帯広の歴史が始まる14年前のこととなります。
質問通告に書いたとおり、ことしは「十勝日誌」などを記し、この地域にもゆかりのある松浦武四郎が名づけ親となって、明治2年、1869年に当時蝦夷地と呼ばれていたこの地に北海道という名称がつけられてから150年という節目の年に当たります。依田勉三率いる晩成社によって帯広に開拓のくわが入ったのが明治16年、1883年ですから、帯広の歴史が始まる14年前のこととなります。
この北海道の名づけ親とも言われる松浦武四郎が蝦夷地探索を進め、アイヌの人々と交流した史実をもとに制作されたミュージカル「松浦武四郎」が、今秋、市民の実行委員会の手で公演されます。教育委員会といたしましても、北海道誕生の物語を多くの子どもたちに見ていただける機会となるよう支援してまいります。 以上、教育行政推進の重点的な取り組みについて申し上げました。
また、本市にもゆかりの深い幕末の蝦夷地探検家、松浦武四郎が今の北海道のもととなる命名原案を明治政府に提案し、「北海道」と名づけられてから150年の年に当たります。 先人が築き上げてきた歴史や偉業に感謝するとともに、次の時代に向け、新たな歴史を築いていくときであります。 平成30年度は、今後10年間の新たなまちづくりの指針となる釧路市まちづくり基本構想がスタートする年であります。
今回は2項目で、最初に松浦武四郎氏について町長にお聞きします。 平成30年に、来年ですね、北海道と命名され、150年になります。その名の名づけ親とも言われる松浦武四郎の記念碑が高丘方面の交差点、交流点のもとに建っております。そこで、松浦武四郎について本町での講座、イベントは来年度どう考えているのかお聞きしたい。